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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)3109号 判決

千葉県千葉市市場町二番地

控訴人(付帯被控訴人) 千葉県

右代表者知事 川上紀一

右訴訟代理人弁護士 忽那寛

同 秋山博

同 石川泰三

同 大矢勝美

同 岡田暢雄

千葉県船橋市本町二丁目一〇番一号

被控訴人(付帯控訴人) 板倉岩雄

右同所同番地

被控訴人(付帯控訴人) 板倉龍子

右訴訟代理人弁護士 児島平

同 椎原国隆

同 坂根徳博

右当事者間の昭和四六年(ネ)第三〇六〇号損害賠償請求控訴事件、昭和四七年(ネ)第三一〇九号同付帯控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

(控訴につき)

本件控訴を棄却する。

(付帯控訴により)

原判決を次のとおり変更する。

控訴人(付帯被控訴人)は被控訴人(付帯控訴人)各自に対し、それぞれ金二一一一万円および内金一七六一万円に対する昭和四一年六月一日より支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人(付帯控訴人)らのその余の請求を棄却する。

(訴訟費用につき)

訴訟費用は、第一審、差戻前の第二審、上告審および差戻後の第二審を通じ、これを五分しその四を控訴人(付帯被控訴人)の負担とし、その一を被控訴人(付帯控訴人)らの負担とする。

(仮執行の宣言)

この判決のうち、金員の支払を命ずる部分は、仮に執行することができる。

事実

控訴人(付帯被控訴人、以下単に控訴人と表示する)代理人は、控訴につき、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人(付帯控訴人、以下単に被控訴人と表示する)らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を、付帯控訴につき、付帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴につき、控訴棄却の判決を、付帯控訴につき、「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人ら各自に対し金三〇二二万円宛、および各内金二五一九万円に対する昭和四一年六月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決および仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、次に記載したほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。ただし、原判決二枚目裏一〇行目に「千三す〇四八一号」とあるのは、「千三す〇四七一号」と訂正する。なお、以下に用いる甲車、乙車、丙車、丁車の各表示は、原判決のそれと同一である。

(控訴人の陳述)

一、本件事故の時点において、実況見分は、いまだ終了していなかったものである。即ち、丁車は、最初の事故のために右前照灯がこわれていたので、同車を乙車がその背後から援護照射をして、両車が一緒に走行して、船橋警察署に帰署しようとしたものである。また、現場検証の終了時点は、その開始の時点が現場検証をするため警察官らが現場に到達したときと解されるのに対応して、これらの要員が現場を離れたときと解すべきであるから、乙車の転回行為は、検証中になされたものというべきである。よって、乙車の行為は、緊急性が認められるから、正当業務行為として刑法上免責されるものである。

二、(一) 本件で確実に前提事実となしうるのは、次の五点である。

(イ)  甲車のブレーキ痕が存在しないこと。

(ロ)  衝突地点の直前に甲車のタイヤ痕(急カーブを切った場合、外側の車輪によって生じる)が存在しないこと。

(ハ)  甲車は時速一〇〇キロ前後の速度で丁車に衝突したこと。

(ニ)  甲車が下り第一通行帯に停車中の丁車の真後ろに衝突したこと。

(ホ)  衝突したとき、甲車は右側にハンドルを切ったばかりの状態であり、その車体はやや右側に傾いていたこと。

(二) 被控訴人らは、「第二車線を進行していた甲車が、衝突地点の約四〇メートル手前からカーブを始めた」と主張している。

衝突地点が第一車線の左端であり、衝突時の甲車の向きはやや右であったのだから、右主張によれば、わずか四〇メートルの距離の間に紀光は左へハンドルを切り、さらに右へ切り直し、甲車の進路を左側へ三・七五メートル(本件進路の一車線分)以上移動させたことになる。そのうえ、道路上には急カーブによるタイヤ痕も全く残されていないのだから、この車線変更は、極めてスムーズに行なわれたこととなろう。

しかし自動車の性能上右のようなことは絶対に起りえないのである。時速一〇〇キロメートルで進行中のシボレー型自動車が、三・七五メートルの車線を変更するためには、人間による反応の遅れを全く考慮に入れない場合でも、六〇・九メートルの距離を要するからである。従って被控訴人らの主張のような事実はありえないことである。

(三) 突嗟の危険に際会すると運転車は本能的にブレーキを踏むものである。従って、もし被控訴人の主張する如く「甲車の約四〇メートル前方の下り第二車線上に乙車がユーターンして進入して来て、甲車の紀光が突嗟の危険を感じた」とするならば、同人は突嗟にブレーキを踏んでいたはずであり、路上に鮮明なブレーキ痕が残っていなければならない。しかるにブレーキ痕は存在しないのだから、被控訴人らの主張事実は存在しなかったのである。

(四) かようにして、路上にブレーキ痕もなく、時速一〇〇キロメートルもの高速で丁車の真後ろから激突しているところからみれば、甲車はもともと第一車線を進行していたものであって、本件事故の原因は、甲車を運転していた紀光の居眠り等による異常な前方不注意によるものとみるべきである。なお、本件事故当時、本件道路には、通行区分の指定はなされていなかったから、自動車は、道路交通法二〇条二項により、左側の車線を通行しなければならなかったのである。従って、紀光は、通常な運転方法をとっていたならば、当然、左側の第一車線を進行していた筈である。

三、後記被控訴人らの損害額の主張に対し、

(一)  死者本人の収入の主張について

「医師として働く期間中、初期の医局勤務期間昭和四七年五月までの収入は、医局勤務の性質上それほど多くなく、それまでの生活費と相殺させて残りを生じさせない。」との事実は認める。昭和四七年六月以降については、最近の独身生活者の消費動向に鑑み、年収の八割程度を控除するのが相当である。また中間利息の控除はライプニッツ式によるべきである。なお、逸失利益算定のための資料等は、事故時のものを基準とすべきである。その余の事実は知らない。

(二)  死者本人、父母の慰謝料について、

被控訴人ら個有のものであれ、相続によるものであれ、被控訴人ら両名を合計して金三〇〇万円を超える分については、その妥当性を争う。

(三)  死亡者本人の損害額の配分の主張について

被控訴人らが二分の一宛紀光を相続することは認める。

(四)  葬式費用について

葬式費用の額は知らない。

(五)  弁護士費用について

争う。判決認容額の一〇パーセント以下の範囲で、本件の難易・訴訟活動の実際から推認される相当額を負担すれば足りると考える。

(被控訴人の陳述)

一、(控訴人の本件事故原因に対する主張への反論)

控訴人は、運転者は突嗟の危険に際会すると本能的にブレーキを踏むものであり、紀光もまた危険を感じたならば、当然に急ブレーキをかけた筈だとの前提の下で立論し、紀光の車線変更の事実を否定している。しかし、控訴人のいう推論は、その前提が全く異なるのであって、「急ブレーキ」を理論の前提としたすべての論は意味がない。即ち、

(一)  高速自動車国道・自動車専用道路では、急ブレーキをかけることは、その必要性が殆んどないので予想されていない。

高速道路では、最高速度および最低速度が定められており、また、横断・転回・後退・駐車・停車は厳禁されている。自動車のみが、高速で進行するのであり、交差点・信号もないし、歩行者・自転車も通行しないのであり、進路を妨害する物の存在しない状態になっているのである。従って運転者は急ブレーキをかけて急停車する必要はあり得ないのである。また、急ブレーキをかけると後続車に追突の原因を作ることにもなるのである。

一般道路においては全く異なり、運転者は、子供などが不意に飛び出すことがあるので急ブレーキで急停車する必要がある。高速道路と一般道路とは、その運転方法が全く異なるのである。控訴人の論は、この一般道路の一般的論である。高速道路上の本件事故には適用されない論である。

(二)  次に具体的には、かりに甲車は一〇〇キロメートル前後のスピードで走っていたとすると、一〇〇キロメートルのスピードでは、急ブレーキによる停車距離は、九〇ないし一〇〇メートルである。そしてこれは極めて危険な動作である。従って、このようなスピードの車は、危険が伴うので急ブレーキをかけることはないのである。

(三)  また停車距離が九〇ないし一〇〇メートルを要するので、停止するためには、九〇ないし一〇〇メートル前に障害物を発見して、急ブレーキをかけなければならない。しかし、甲車の紀光は、乙車は警察の車であり、交通規則を厳守し、絶対に下り第二通行帯の進路を妨害することはないと信じていたので、一〇〇メートル手前ではまだ依然直進したのである。そしてこれは当然のことである。(信頼の原則)

しかし進行していくのに従って、乙車が進路を妨害することが確実となったのであわてて左へハンドルを切ったのである。この時はもはや九〇メートル以内の距離に近づいていたので、急ブレーキで衝突をさけることは不可能であり、またスピードもあったので、ブレーキをかけることはない。左ハンドルによってこれを避けるのが安全なのである。そして事実、甲車は乙車を避けることができたのである。

(四)  坂根、椎原弁護士の東名高速道路における進路変更の実験によれば、時速一〇〇キロメートルでは最小限度四〇メートルまではスリップ痕なくして、進路変更ができることが経験された。従って、乙車の四〇メートル位手前で甲車は右ハンドルを切ったものと思われる。

(五)  以上の理由で、高速自動車道路で、時速九〇ないし一〇〇キロメートルのスピードの場合には、急ブレーキはかけず、ハンドル操作により障害物を避けるのが通常である。

二、(付帯控訴による請求金額の内訳)

(一)  (死亡者本人の収入四〇〇八万円)(計算表末尾添付)

1、「得べかりし収入」紀光は、事故がなければ、死亡の翌日昭和四〇年一〇月二〇日以後もひきつづき残している約半年のインターンを行なって、昭和四一年三月には医師法所定の実地修練を終了し、同月実施の国家試験に合格したうえ、昭和四一年五月には医師の免許を受けるはずであった。そして、昭和四一年六月から満六〇才になる直前の昭和七五年五月までの三四年間は、医師として働き収入があるはずであった。

就労期間中、昭和四一年六月から昭和四七年五月までの六年間は、中山恒明の主宰する東京女子医科大学付属病院の中山外科に勤務して研究と診療業務に従事し、いわゆる医局員として働いて行くはずであった。その後、昭和四七年六月から昭和七五年五月までの二八年間は、医局における修練終了後の医師として働いて行くはずであった。この間は父であり医師である被控訴人岩雄が開設して院長を勤めてきた医療法人弘仁会船橋板倉病院を継いで院長となり、病院の管理と診療に従事して行くか、そうでなければ、他の事業所に雇われて医師として診療に従事して行くはずであった。

医師として働く期間中、初期の医局勤務期間昭和四七年五月までの収入は、医局勤務の性質上それほど多くなく、それまでの生活費と相殺されて残らない。

医局勤務終了後昭和四七年六月以降のあるはずであった収入は、人事院の職種別民間給与実態調査による医師の収入をくだるようなことはなかった。期間中、当審口頭弁論終結日を基準に、過去の期間については、当該年度の賃金事情に基づいてその収入を主張する。将来の期間については、実際化している賃金事情中、立証目標年度に最も近接した年度の賃金事情にもとづいて収入を予測することとする。そうすると別表の収入をくだるようなことはない。

2、「生活費」紀光は、この間、税金等も含めた生活費がかかるはずであった。この生活費のうち昭和四七年五月の医局勤務終了までは、それまでの収入と相殺させて残りを生じさせない。昭和四七年六月以降は、毎年度年収の五割をこえることはない。

3、「損益相殺」紀光は、死亡によりあるはずであった収入を失なった。一方、生活費は損益相殺をしなければならない。損益相殺は、年度ごとに行なう。そうすると、昭和四七年五月の医局勤務終了までは、収入と生活費を対当額によって相殺させ、いずれの残額も生じない。昭和四七年六月以降は別表のとおり残を生じる。

4、「現価」損益相殺による収入の残額については、年度の残額が当該年度の末日に発生するものとして、各年度の残額ごとに、昭和四一年五月三一日を基準日とし、基準日の翌日から残額発生日までの民法所定の単利年五分の割合による中間利息を控除し、それぞれ一時払額を算出する。そうすると、別表のとおり、昭和四一年五月三一日現在の各年度収入の損益相殺残額一時払額の合計は、四〇〇八万円を下らない(被控訴人両名に配分のため偶数値まで減額した)。

(二)  (死亡者本人の慰謝料四〇〇万円)

(三)  (死亡者本人の損害額について配分、父母各二二〇四万円)紀光の損害額合計四四〇八万円は、相続分に応じ父母である被控訴人らに二分の一宛配分すべきものである。そうすると、一人当りは、二二〇四万円となる。もし配分という構成に問題があるならば、相続そのものを主張する。

(四)  (父母の慰謝料各三〇〇万円)被控訴人らが紀光死亡後の生涯を子の紀光が生存しない寂しい毎日で明け暮れてゆく苦痛に対し、慰謝料各三〇〇万円をくだることができない。もし前記(二)の死亡者本人の慰謝料を否定されるときは、父母である被控訴人ら各五〇〇万円の慰謝料を主張する。

(五)  (葬儀費用、父母各一五万円、合計三〇万円)被控訴人らは昭和四〇年一二月までに、死亡した子紀光の葬儀費用として各一五万円、二名の合計三〇万円をくだらない支出を行なった。

(六)  (弁護士費用、これまで四審分をあわせ、父母各五〇三万円、合計一〇〇六万円)

被控訴人らは、本件第一審以来このたびの再控訴審に至るまでの四つに及ぶ審級ごとに、それぞれ、弁護士に訴訟を委任し、弁護士報酬の支払を約した。このため、このたびの再控訴審判決言渡しの日までには、全部の支払期日が到来する。その額は全部の審級をあわせて、このたびの再控訴審判決中弁護士費用以外の勝訴額を基準に二割をくだらない。難事件であり多大の弁護士活動を必要にさせたことや、四審にも及んだことを直視し、これ位は加害者において賠償すべき弁護士費用の損害である。

してみると このたびの再控訴審における弁護士費用以外の請求額は、以上被控訴人ら各自二五一九万円、合計五〇三八万円であり、全部にわたり判決で認容されることになれば、二割にあたる弁護士費用は、被控訴人ら各自五〇三万円、合計一〇〇六万円をくだらない。

(七) (請求、父母各三〇二二万円、合計六〇四四万円)被控訴人らは、自賠法三条に基づき、控訴人に対し、以上各三〇二二万円、合計六〇四四万円の支払を求める。このうち、弁護士費用を除いた各二五一九万円両名の合計五〇三八万円に対しては、事故発生後であり、損害の発生ならびに一時払基準日の後である昭和四一年六月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、当裁判所の本件事故の発生および控訴人の責任についての認定、判断は、次に記載したほかは、原審のそれと同一であるから、原判決の理由中、「一、(事故の発生)」および「二、(被告の責任)」の項の記載(原判決九枚目表二行目から一六枚目表五行目まで)をここに引用する(但し、このうち一五枚目表末行に「第一通行帯から第二通行帯へ」とあるのは「第二通行帯から第一通行帯へ」と訂正する)。当審においてとり調べた証拠によっても、右認定、判断を左右するには足りない。

(一)  控訴人は、当審において、本件事故は検証中に発生したものであって、乙車の転回行為には、緊急性が認められるから刑法上免責されると主張する。

しかし、前記引用の原判決記載のとおり、本件事故は、「実況見分を終了し、セイフティコンを片づけ、帰署しようと関係者一同が既に乙、丙、丁車にそれぞれ乗車し終った時」に発生したものであり、検証終了後の事故であると解するのが相当であるのみならず、かりに乙車の転回行為につき所論のような刑法上の免責があったとしても、そのことから直ちに控訴人が民事上の責任までも免れることにはならない。即ち、本件道路は、後記のとおり、自動車の横断、転回、後退が全面的に禁止されているのであるから、かりに乙車が緊急行為として転回行為を行なう場合であっても、反対車線を走行してくる車両に対して、これを予知させ、もって、右車両が突嗟の措置に窮し、思わぬ事故を招来せしめないよう、少なくとも、法令に定められたサイレンを鳴らし、かつ、対向車両の進行を急激に妨げないような時機と方法を選んで転回行為に及ぶべき義務があるのである。従って、所論はこの点に関し、独自の見解に基づいて、責任回避の主張をするものであって採用することができない。

(二)  次に、控訴人は、(1)本件のような条件の下における車線の変更は、人間の反応の遅れを考慮しなくとも、六〇・九メートルの走行距離を必要とすること、(2)運転手は突嗟の危険に際して本能的にブレーキを踏むこと等の点からみて、甲車が第二車線から第一車線に急な車線変更を行なったと認めることは、客観的な事実(ブレーキ痕もなく、スピードの減速もないこと)にてらし、不可能であって、結局、甲車は最初から第一車線を通行していたとみるほかなく、本件事故の原因は、紀光の居眠り運転等異常な前方注視義務違反に基づくものであると主張する。しかし(1)本件のような条件の下において、車線の変更のために、最低どれだけの距離を必要とするかに関しては、控訴人の右主張を支持する≪証拠省略≫は≪証拠省略≫にてらすと、いまだ控訴人の右主張を肯認するには足りず、かえって、右対比に供した証拠よりすれば、本件のような条件の下において、限界的な車線変更に要する最低の走行距離は、四五メートル前後にまでなり、その場合タイヤ痕を残さないこともありうることを窺うことができる。また(2)の点については、この主張は、運転者が突嗟の危険に際しては、常に必ずブレーキを踏むものであるとの命題を当然の前提とするものであるが、被控訴人らも指摘するとおり、本件事案は、一般の道路上において発生したものではなく、自動車専用道路上において発生した事故であって、このような道路上では元来、自動車の横断、転回、後退は禁止されている(道路交通法七五条の六)し、また、歩行者、自転車の通行も許されない(道路法四八条の五)のであるから、急ブレーキを使用して停車しなければならないような場面は、予測されないのである。むしろ、このような道路においては、原則として、みだりに急ブレーキを使用して停車することは、後続車に対する追突の原因にもなりかねないところである。かようにして、このような道路においては、本件のように、反対方向の車線から、中央分離帯をのりこえて、反対車線への転回を行なうがごとき違法な現象は、全くありえないものであるとの信頼が存するものと解するのが相当である。してみれば、甲車を運転していた紀光が、反対車線内にある乙車(それが緊急用のサイレンを鳴らしていた旨の主張立証はない)の存在を、いかに遠方から認識していたとしても、それが中央分離帯をのりこえて甲車の進路に進入してくるだろうなどと予測しなかったのは、むしろ当然であり、近距離に迫った時点で、実際に乙車が甲車の車線に進入しはじめたことから、ここで、はじめて危険を感じて、突嗟にハンドル操作による車線の変更によって乙車との衝突を避けようと試みた(そして実際にも避けえた)ものであると解せられる。この場合、急ブレーキをも併用しなければならないとの法令上の義務もなく、また、急ブレーキの使用のみによって衝突を回避しえたであろうとの保障もない。のみならず、一般的にいって、かような場合に、いかなる運転者も、必ず本能的にブレーキ操作をするものであるとの経験則が存する旨の立証もない(ちなみに、当審証人東郷和英の証言によれば、同人は、本件のような場面に直面した場合、ブレーキを操作するいとまはないであろうという)。

以上の次第で、控訴人指摘の、タイヤ痕・ブレーキ痕のないこととか、時速一〇〇キロメートルの追突であること等の客観的な事実の存在と、当裁判所の認定、判断による紀光のハンドル操作のみの車線変更の事実とは、互に両立しうるものであって、この点に関する控訴人の主張は、結局、独自の見解に基づくものというほかなく、採用することができない。従って、本件事故の原因は、乙車の違法な転回行為にあるといわなければならない。

二、そこで、次に紀光の側における過失の有無、程度について考える。

≪証拠省略≫によれば、甲車が丁車に追突した時点における甲車の速度は、およそ時速一〇〇キロメートルであると認められ、一方、本件道路における最高制限速度が高速車(甲車はこれに含まれる)が時速七〇キロメートルであることは、引用の原判決認定のとおりであるから、紀光は、衝突時において、最高制限速度を三〇キロメートル超過する高速度で甲車を走らせていたことが明らかである。また、当時の道路交通法および同施行令の定めるところによれば、紀光は第一車線を進行すべき義務(いわゆるキープレフトの義務)があった(昭和三九年六月一日法律九一号、道路交通法二〇条二項参照、なお、同条三項に基づく通行区分の指定のなかったことは、≪証拠省略≫参照)。従って、もし、紀光が右各規定を遵守し、第一車線を、時速七〇キロメートル以下で走行していたとすれば、乙車の影響を本件の場合ほど強く受けることはなかったものと考えられるし、一方、≪証拠省略≫により、本件事故発生時には丁車の尾灯は点灯されていなかったと推断されるところ、当審における第二回の検証の結果よりすれば、丁車の尾灯が点灯されていない場合に、甲車が前照灯を下向にして進行したとしても、乙車の角度ならびにライトの点灯とは関係なく(この点は差戻判決が疑問として指摘するような影響は、認められなかった)、甲車の運転者は、丁車の約一〇〇メートル手前から約五〇メートル手前までの間に、丁車の反射器に甲車の前照灯が反射して光るのを認めることができ、従って丁車の存在を確認することができると認められる。そうだとすれば、紀光が前記各規定を遵守していたとすれば、本件事故の発生を避けることができたであろうと推断される。蓋し、上記認定の本件事案において、かりに、紀光が甲車を時速七〇粁以内に保って、第一車線を進行していたならば、多少のもやの存在を考慮したとしても少なくとも五〇メートル以上の前方に丁車が停止していることを確認しえたものと思われ、かつ、これと相前後して、乙車の転回行為にも気づいた筈であるから、以上のような事実関係の下においては、同人は、直ちにブレーキをかけて減速することが期待されると共に、前記認定の紀光の力量からみて、ハンドル操作によって、乙車と丁車との間を縫って第二車線に逃れるか、又は、急制動をかけることによって丁車に追突することを避けることができたものと考えられるのである。従って、右のように法規を遵守しなかったために本件事故に遭遇した点で、本件事故の発生については、紀光の過失も存するものといわなければならない。そして紀光の右過失と、乙車の運転者訴外鈴木佐四郎の過失とを比較すると二対八であると認めるのが相当である。

三、そこで次に被控訴人らが請求する損害額について判断する。

(一)  紀光の得べかりし利益

1  ≪証拠省略≫によれば、紀光は昭和一六年二月二日、被控訴人らの長男として生まれ、昭和四〇年三月、日本大学医学部を卒業し、同年四月から医師のインターンとして診療と公衆衛生に関する実地修練とを行なうようになった。そして事故に遭遇した昭和四〇年一〇月当時は、あと約半年を残すのみでインターンを終了するところであった。紀光は、インターン終了と同時に、昭和四一年三月に実施される医師の国家試験を受ける予定であった。紀光の日本大学における卒業試験の成績は九四人中六一位であり、一方、昭和四一年に施行された医師の国家試験には紀光の同級生全員が合格した。以上の事実が認められるので、紀光はもし右試験を受けたとすれば合格し、昭和四一年五月には医師の免許をとることができたものと考えられる。ついで≪証拠省略≫によれば、紀光は、昭和四一年六月から昭和七五年五月までの三四年間、医師として働き、収入がある筈であった。就労期間中の昭和四一年六月から昭和四七年五月までの六年間は、東京女子医大付属病院の中山外科に勤務し、医局員として働き、昭和四七年六月から昭和七五年五月までの二八年間は、父であり医師である被控訴人岩雄の開設管理する医療法人弘仁会船橋板倉病院の管理と診療に従事する予定であった。

以上の事実を認めることができる。

2  医師として働く期間のうちの、初期の医局に勤務している間の紀光の収入が、勤務の性質上それほど多額でなく、それまでの生活費と相殺されて残りを生じない点については、当事者間に争いがない。

3  次に昭和四七年六月以降の収入について考えるのに、≪証拠省略≫によれば、人事院の職種別民間給与実態調査の結果として、昭和四七年の医師(二八才ないし三二才)の月収は一八万五〇〇〇円(一〇〇〇未満切捨て)であり、平均給与月額に対する賞与および臨時給与の割合は、四・九ヶ月分(一〇分の一ヶ月未満は切捨て)であり、昭和四八年の医師(三二才ないし三六才)の月収は二三万四〇〇〇円、賞与等の割合は四・九ヶ月分以上であること、昭和四九年度以降の分については、昭和四八年の分を基準として、三年間ないし四年間宛の予測が本判決別表⑤に示される金額となること、賞与等の割合も四・九ヶ月分は下らないと考えられること、以上の事実が明らかである。そして、毎年の生活費はその年収の五割と見て計上するのを相当とするから、以上の数値に基づき、各年度の残額が当該年度の末日に発生するものとし、各年度の残額ごとに昭和四一年五月末日の現価を民法所定の単利年五分の割合による中間利息を控除するホフマン式計算によって算出すると、本判決別表のとおり合計四〇〇九万円となる。

控訴人は、現価の計算方法について、単利計算による算出方法であるホフマン式ではなく、複利計算による算出方法であるライプニッツ式によるべきであると主張する。しかし、損害賠償金は、常に複利によって利殖されるものとはいえないばかりでなく、また、今日における経済の実情からみて、物価の上昇の傾向は変らないものとみられるから、ライプニッツ式による計算方法よりも、ホフマン式による計算方法を採用する方がより実情に合致するものと考えられるので、当裁判所はホフマン式計算方法を採用する。

そこで、以上のとおり、昭和四一年五月三一日現在における紀光の得べかりし利益は、被控訴人ら主張の四〇〇八万円(計算の便宜のため偶数値を主張したもの)を下ることはないといいうる。ところで前記紀光の過失を考えると、右のうち控訴人に対して賠償を求めうるのは、その八割の三二〇六万円(一万円未満は切捨て)となる。

(二)  紀光本人の慰謝料。

本件事故の態様、紀光の過失等からみて、紀光自身の慰謝料は一〇〇万円が相当である。

(三)  相続。

被控訴人らが紀光の相続人として同人の権利義務を等分に承継したことは、当事者間に争いがないので、被控訴人らは紀光の死亡により前記(一)(二)の合計三三〇六万円の各二分の一に相当する一六五三万円の損害賠償請求権を承継取得したことになる。

(四)  被控訴人らの慰謝料。

被控訴人らが前認定のとおり紀光の父母であること、本件事故の態様、紀光の過失等を考慮すると被控訴人らの慰謝料は各一〇〇万円が相当である。

(五)  葬式費用。

≪証拠省略≫によれば、被控訴人らは紀光の葬式費用として昭和四〇年一〇月二二日までに合計二六万五一二五円の支出をした事実を認めることができるが、このうち本件事故と相当因果関係にある損害は二〇万円の範囲内であると解するのが相当である。よって、被控訴人らは右金員の半分の一〇万円宛の損害を蒙ったものであるところ、紀光の過失を斟酌すると、被控訴人らはこのうちの八割即ち各八万円宛を控訴人に対して請求しうるものである。

(六)  弁護士費用。

被控訴人らは、弁護士費用として支出し、もしくは支出すべき金額は、本件の四審級分を合計し、再控訴審の勝訴額の二割に相当すると主張する。しかし、そのような割合の報酬および手数料を支払う旨の報酬契約が被控訴人らと弁護士との間で結ばれた事実を認めるに足りる証拠はない。

ところで、(1)原判決によれば、原審における代理人は弁護士坂根徳博と同椎原国隆の二名であって、≪証拠省略≫によれば、その弁護士費用は、右弁護士両名分を合算して被控訴人一名につき四九万円であって、その支払の時期は、原判決の言渡の時という約束であったことが明らかであるから、結局、原判決言渡の頃に、弁護士費用として合計九八万円が支払われたことが窺われる。

(2) 次に差戻前の控訴審については、同審級の代理人も坂根、椎原両弁護士であったことは記録上明らかであり、さらに、≪証拠省略≫によれば、その手数料および謝金についての約束は、依頼の目的を達した日に、その目的を達した金額に対し、東京弁護士会弁護士報酬規定による報酬額の標準中最低の料金を支払うという内容のものであったことが認められるところ、同控訴審では被控訴人らは全面的に敗訴となったため、手数料も報酬も全く支払われなかったと解すべきである。

(3) 次に上告審の弁護士費用については、≪証拠省略≫によれば、上告審の代理人は、坂根、椎原弁護士のほかに弁護士児島平が加わり、差戻判決言渡の頃に、坂根、椎原両弁護士に対しては合計八一万円(一万円未満切捨て)が、また、児島弁護士に対しては一〇〇万円が支払われたことが認められる。

(4) 最後に当審における弁護料の約束について考えるのに、≪証拠省略≫によれば、被控訴人らは当審の代理人弁護士三名との間で、本判決言渡の日に勝訴額に対し、東京弁護士会弁護士報酬規定に定められた最低率の一人分の手数料および謝金を支払う旨を約したことが認められる。そこでこの約束に基づいて計算すると、本件の勝訴額は、前記(三)ないし(五)の合計三五一六万円であるから、東京弁護士会弁護士報酬規定九条三(一)(4)によりその手数料・報酬はいずれも六分となり、合計一割二分即ち四二一万円(一万円未満切捨て)がその弁護士費用となる。

(5) よって、以上の各弁護士費用を合計すると七〇〇万円となり、これが本件訴訟全体について被控訴人らが支出し、または支出すべき弁護士費用の全部であるということができる(なお、右金額は被控訴人らの主張の二割即ち七〇三万円の範囲内の数額である)。そして、これらの金額が不当に高額ということはできない。

四、以上のとおりであるから、被控訴人らの控訴人に対する本訴請求は、被控訴人各自につき、紀光を相続して取得した一六五三万円、慰謝料一〇〇万円、葬式費用八万円、弁護士費用三五〇万円の合計二一一一万円および弁護士費用を除いた残り一七六一万円に対する本件事故の後である昭和四一年六月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、これをこえる分については理由がない。よって、右理由のある限度でこれを認容し、その余はこれを棄却すべきである。しかるに原判決の認容の限度は右に及ばないので、本件控訴は理由がないが本件付帯控訴は一部理由がある。よって原判決を右認容の限度まで変更し、その余の被控訴人らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 室伏壮一郎 裁判官 小木曾競 裁判官 深田源次)

〈以下省略〉

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